日本人ジャズ歌手と英語

日本人のジャズ歌手にとって英語は難しく大変ですね。たぶん文化的な問題からでしょうが、日本人は世界でもっとも英語の下手な国民のような気がします。中東やアジアの毎日戦争に明け暮れているゲリラ集団の連中でさえ、記者に囲まれると上手い英語ではなくともなんとか通じる英語でアピールし始めますね。日本の政治家や官僚には東大卒が多いですが、ほとんどが英語は喋れません。日本人がそんな状態なのに、ジャズ歌手はさらにジャズを歌うんですから、その大変さは並大抵ではないです。日本人一般の英語力も日本の英語教育もなにもかもダメなところへもってきて、ジャズ歌手だけ完璧に英語の歌を歌えと言われても、まあ無理には違いないです。だったらジャズ歌手をやめればいいんですけど、やめずにジャズ歌手をつづけるなら、どうするか? やるしかないですね。

そこで、もしなによりも先に結論として一番簡単な上達法を一言で言えと言われたら、「話すこと」と僕は答えるしかないです。話せば通じないので、通じるような発音になっていき、通じるような発音になれば、今度は聴きとることも容易になってくるでしょう。話すことを敬遠していては上達はないですね。でもこれでは通り一遍の答えで、よくある英語入門みたいな本に書いてあることとあまり変わらないです。従ってここでは少し違う角度から考えてみましょう。「話す」と「聴く」は質的には同じなんです。「話す、聴く」は「読む、書く」とはまったくべつです。「話す」と「聴く」をやらないと本当の上達は望めないですが、やらないにしてももし「読む」、「書く」だけでもしていれば、それはそれでなにもしないよりはずっといいです。しかしさらに「読む」、「書く」もしないのなら、すぐジャズ歌手をやめるしかないですね。それは少なくとも社会に迷惑をかけないということで、最低限度必要なことです。

さてジャズ歌手をやめないでやっていくのなら、なにかをしなくてはならないですね。「読む、書く」をしないで、「話す、聴く」だけをするのは、怠惰で図々しいやりかたですけど、まあジャズ歌手として最低限度必要なことはクリアしていると言えそうです。「読む、書く」のとくに「読む」を怠ると教養や知識が狭まって、どうしても歌やその歌手自身の人間性やあれこれのハバが拡がっていかないもんです。しかしビリー・ホリデイやチャーリィ・パーカーみたいに天才だったら、それはべつです。彼らは酒をのんで麻薬を打って引っ繰り返っていても、起きるとうまくなっていて、教養もへったくれもないわけです。天才はまったくべつです。天才はあっという間に昇りつめて次の日心臓麻痺で死んでいるかもしれないですが、どっちにしろ凡人には関係ないことです。天才とは、自分の人生について一顧だにせず、凡人たちに理想を示してくれているのかもしれません。

それはともかく、自分が天才ではないと悟っていて、しかもジャズ歌手をやめないのなら、勉強しなければなりませんね。「読む」、「書く」をし、「話す」、「聴く」をするわけです。それ以外に楽なずるい方法などあるわけがありません。僕がこういうことを言っているのは、僕は天才ではなく凡人で、こういうことで苦しみ抜いて、自分にむち打って「読む」、「書く」、「話す」、「聴く」をやってきたからなんです。その意味では少なくとも僕はこういうことを言う資格があると思っています。僕は35年くらい英語の本を読み続けてきました。今でも英語の本を読まない日は1年中1日もありません。大げさでなくそうです。便所には英語の本が何冊か積んでありまして、忙しくて遅く帰ってきて朝起きてすぐでかける日もありますけど、最低でも便所は行きますから必ず読むわけです。それからカバンやリュックには読みかけの本が入れてあり、乗り物に乗ればすぐに本を読みはじめます。書くのは、たまに知りあいにメイルを打つぐらいで、あまり書いていません。読むのは簡単で、最初のうちは辞書片手に読んでましたけど、そのうち辞書など面倒でもたなくなり、判らないところはそのままに通り過ぎて読んでいました。それが習慣になり、今はほとんど辞書は使いません。どっちみち字が小さくて見えないんですが。でも皆さんも読めない漢字や知らない言葉があっても新聞や雑誌を辞書なしで毎日読んでますから、それと同じでどうってことはありません。それはとくにすごいことでもなんでもないんですよ。まあ慣れですね。

さて、僕がこの文を書いているのには、一つの目的があります。つまり天才ではないとして、凡人でしかもジャズ歌手をやめないで、そのうえ「読む」、「書く」、「話す」、「聴く」を完璧にやれ(ら)ないとすれば、どうしたらいいか、そういうずぼらな人に答えなり助言なりをするにはどうしたらいいか、難しいけどなんとか名案をひねり出してみたい、それがこの小文の目的です。一見して無謀な試みで、もちろんその答えはやさしくないです。でもなにかしらうまくやっていく方法は、そのコツは、そんなものがないかと考えてみました。まずダメ歌手にも簡単に楽にやれるように、これら「読む」、「書く」、「話す」、「聴く」に順位をつけてみましょう。「書く」は4です。一番最初に省きましょう。綴りなんか間違っていてもいいし、今ファーラウトにいるコックのNathanなんかアメリカ人のくせして判読不能の字と滅茶苦茶な綴りで野菜や肉など買い出しリストを僕によこしますから、それほど気にする必要もないでしょう。彼は綴りは違っていると思うよ、と言い訳しますが、もちろん違っています。アメリカ人のそういういい加減なところも、まあ魅力の一つと考えましょうか?

「書く」ことは重要には違いないですが、英語を書く機会はあまりないですし、今はなくてもどうということはないですね。最近ではメイルなんか打っていると、メイラー・ソフトが綴りの間違いを赤線を引っぱって教えてくれますから、便利な時代です。でも近頃は携帯でメイルを送ることが多くなって、ill be there asap なんて謎みたいな返事が来たりします。これは" I'll be there as soon as possible できるだけ早く行くよ"なんていう意味の短縮形です。大文字一切なしのメイルもその特徴です。最初は驚きましたけど、慣れればなんてことはないです。手紙なんか滅多に出しませんから、書き方も判らなくなってきましたし、携帯メイルだって年とってくると小さくて見えなくてやっぱり出しません。でも「書く」ことの良さは構文を作るという作業にあります。文を組み立てるというのはとても重要で、そうやっていると話すことや考えることの練習にもなるんですね。それから忙しい日常のなかでは一種の精神的冷却剤になってくれます。「書く」ことによって細かく正確にものごとを考える機会が得られ、いろいろと反省することができます。もしあなたが英語の勉強を毎日真剣に多くやっているのだったら、とくに「書く」ということを取り入れた方がいいでしょう。その方がいい加減で上っ面だけの勉強に陥りがちな英語習得を、しっかりとした実のあるものにしてくれるものです。

それで次は「話す」の順位3です。冒頭で上達法を一言で言えと言われたら「話すこと」と言ったのに、省くとしたら2番目にくると僕はおかしなことを言っていますね。英米人の友達がいない、英会話スクールに通う時間と金がない、以前通っていたけどNovaみたいなところにアブク銭を儲けさせて終わった(僕が教えていた歌の生徒で1年分だかの授業料70万円を払って途中で行かなくなってそれっきりにしたというOLがいました、その70万円を俺によこせよと僕は叫びました)、たまに話す機会があっても片言の挨拶ぐらいで終わってしまい自分の英語力アップなどにはつながらない、そういうジャズ歌手は多いでしょうね。だいたいNovaみたいな英会話スクールが大きくなってのさばるのは、日本の英語教育がでたらめで腐りきっているからです。英語教育がいかれているので、みんな苦労して英会話スクールにいくわけです。英語教育がいいものであれば英会話スクールはみんな潰れて成り立たないでしょう。旧文部省、現文部科学省は英会話スクール繁栄の立役者で最大の功労者ですね。彼らは英会話スクールの名誉顧問かなにかで天下りできるでしょうし、高額の生涯年金かなにかをもらっても文句はでないかも・・・いやいや、英会話スクールはあいつらを重役なんかにしたら潰れちまうから、恐くて入れられないか、まあ、どっちでもいいや。

いや、話しを戻して、話すのはいつもたいへんですね。歌手が歌うのを聴いていて、かなり発音のイロハを守っていても、結局あちこちで英語らしい発音になっていないのは、話さないからだと判ります。ごく普通の平凡な日常会話でも多くの頻度でやっていれば、発音というものは整ってきます。難しい語彙などなく知的な会話でなくても、それでいいです。ポイントは母音はいい加減でも子音をきちんとふまえて発音することです。それがアジアやアフリカ、アラブ、それから中南米やヨーロッパなどの、英語国民でない人の守る最低限の約束ごとです。つまり子音だけが最後のよすがとなるんですね。子音さえきちんと発音できたら、どんな下手な英語でも聴きとってもらえるものです。先ほど触れたアジアや中東のゲリラも、発音はひどいですが子音だけは守っているから通じるわけです。

よくアメリカへ行けば英語が上手くなる、話せるようになると思っている人がいますね。それはほんの少々は正しいですけど、たいていはそうは運ばないですね。英米人と結婚していたって英語を話していなければダメですし、アメリカで生活していても、日本人に囲まれていたり、日本の会社などで働いていたりすると、全然うまくならないものです。たしかにものを買ったり、バスやタクシーに乗ったり、道を訊いたり、食べ物を注文したりとかは、当然できるようになりますけど、いつまでもその程度でそれ以上に上手くはなりません。そういうものを超えて、人との会話が政治や科学や細かな人間関係やその人の心の奥深くまで及ぶようになるには、自分から率先してそういうことを話さなければ話せるようにはなっていきません。アメリカの音楽大学に留学して帰ってくる日本人ミュージシャンは増える一方ですが、彼らの音楽的力量はともかく、いったい彼らの何人が英語を喋れるんですか? 彼らの何人が英語の本を読めるんでしょうか?

僕がアメリカに行っていた1966年10月でしたか、ときどき僕が顔を出していたサンフランスィスコの日本人バー「富士」のバーテンが徴兵に取られてしまいました。ヴィエトナム戦争が激化し始めた頃で、彼はアメリカに13年いてグリーンカード(永住権)を持っていたから徴兵を拒否できなかったんです。みんなで送別会をやって生きて帰って来いよなと笑って励ましました。お通夜みたいに送り出すわけにもいきませんから、笑うしかなかったんです。それで彼はワシントンDCに行ったと聞きました。しばらくして67年の1月でしたか、「富士」へ行くと、アレッ、なんと彼がカウンターの中にいるではないですか。おい、いったいどうしたんだい? すると彼は答えません。なにかもじもじして反応が悪いんです。よくよく問いただすと、英語力不足で追い返されたと言うんです。いやいや、これには、みんなで大笑い。戦争だから命令もなんもかもパッパパッパと伝わらないと困るわな。ホント世の中なにが幸いするかは判らなんもんじゃ。ウワッハッハッハ!

でもジャズ歌手はそうはいきません。やるっきゃないです。「聴く」のも「読む」のも受動的なんで、自分さえその気があればできますし、「書く」のも同じですね。でも「話す」のだけは違います。これだけは相手がいて、話し相手になってくれないとうまくいきません。そしてある程度、話しの内容がお互いに伝わらないと、どちらも面白くないですから長続きしませんね。話すということは、日本人同士が話している場合も同じですが、なにか通いあうものがないと続きません。日常の会話の95%くらいは、ただ会話する恰好をとり繕うために、仕事やなにかの関係を維持する必要から話しているだけで、なにかが通いあうなんてことはほとんどありません。ときには友達でも恋人同士でも夫婦でもそうです(おっと余計なことか!)。英語の場合、やはりなにかしら意味のあることが話せれば、話し相手としての関係だけだったとしても、あんがい続くもんです。そういうとき I enjoyed talking with you very much. なんて英米人は言いますね。われわれは「あなたとの会話はとても楽しかった」なんて言うことは、日頃まず絶対にありませんね。とにかく会話が楽しめるようになればしめたもんです。楽しめるようになる、それはポイントです、非常に重要なことです。

でも話す機会がうまくもてないジャズ歌手は多いでしょう。そこでそういうジャズ歌手には特別サーヴィスで「話す」も省いてさしあげます。これは、また、大盤振る舞いですね。時間も金もないジャズ歌手くんの立場に立って僕は最大限努力しています。さて次は「読む」で順位2です。ということは順位1は「聴く」で、ニューズ、スポーツ、ドラマ、漫画、自然探訪、なんでも見て聴くことが一番ですが、それに付随して読むことが、あなたの英語の知識を強化してくれます。英語の新聞、週刊誌などを読んでいると、たいていの記事は載っていますから、ニューズを視聴していても判りやすく、大きな助けになります。英語のニューズを視聴する前にこういう記事を読む、またニューズを視聴したあとにこういう記事を読む、これはとても効果的です。「読む」、「聴く」両方が相互に補強し合ってくれるので、判りやすいんです。僕が毛沢東(モウタクトウ)をMao Tse Tung マオ・ツォートン(英語の綴りは違う場合もありますが)と発音し読むのだと知ったのは、アメリカに行って読んだ新聞、週刊誌、ラジオのニューズからで、日本の教育からではありませんでした。英語のニューズを聴いてもモウタクトウしか知らない日本人は最初は聴きとれません。先日もオリンピックを見ていると、いまだに中国名を日本読みしていて、英語の場内アナウンスと日本語中継の大きな落差にゾッとすることがありました。なぜああいう無駄なことをするんでしょう? 中国名は最初から教育で中国式に読めば、われわれの勉強は一回ですむのに、どうしてこんな無駄な苦労を強いるんでしょうかね? 日本の教育のおかげで僕はアメリカへ行って、ずいぶん恥をかきました。日本の英語教育はずっと腐ってますが、まだまだ続きそうですね。あるいは数年前でしたかアメリカのキャンターCantor通商代表の名前を日本のマスコミはカンターと発音して統一していましたが、あれはなんのためなんでしょう? キャンディ、キャンプ、キャンセルはもうすでに立派な日本語ですから、キャンターをカンターと発音して統一する理由は何なんでしょうか? 

「読む」ことは、思いのほか英語の知識を豊かにしてくれます。それに本や新聞、週刊誌はいまとても安く簡単に手に入りますから、とりあえず電車の中などで目を通すのは楽な方法です。僕は一時はどこへ行ってなにをしてても、5分ほど時間が空くのなら本を出して読んでました。僕は30代に茅ヶ崎に住んでいて、赤坂や銀座まで夜ピアノを弾きに、毎日東海道線で往復していました。ちょうど10年間茅ヶ崎に住み、ほぼ1時間の電車の中で、最初の3年は日本語の、あとの7年は英語の本を、59分ぐらい読んでました。途中で読み終わって、次の本をカバンに入れてなかったりすると、そういう愚かな自分にカッカするほど時間を惜しんで読んでました。演奏の合間の休憩時間に、歌手がいると話しをして本が読めず、いらいらして落ちこんだりしましたし、歌手を無視して話しをせず本を読んで歌手に嫌われたことも何度もあります。「読む」ことは、本当は一番に来る課題かもしれません。それほど簡単で、お金がかからず、乗り物や待ち時間やお茶を飲む時間を利用して読めるので、そのために時間を取らなくても毎日ある程度は確実に読めるからです。勉強するうえで確実に消化できる課題ほどありがたいものはないですからね。

でも「読む」にしてもいつもうまくいくとは限りません。難しくて読めないようなものもいっぱいあります。そういうときその本を諦めたり、歯を食いしばって最後までいったり、途中でやめてしばらくして再挑戦したりと、いろいろです。でも気持ちよく読めていい気分で次へ進めるのはいいことですから、僕はいつもそういうものを慎重に選んでいました。とくに30代から40代くらいは僕は好きなものしか読まないようにしていました。ジャズ、麻薬、マフィアなどの実録もの、ポルノ、哲学思想、自然散策紀行文など。19世紀イギリスの古典ポルノなど電車の中で目をランランと光らせて読むなんてこともありました。ジャズ、麻薬関係も多く読みました。30代半ばくらいから小説は一切読まなくなりましたね。一度だけ「チャタレイ夫人の恋人」を原文で読みましたが、どこが猥褻裁判で大騒ぎしたのか判らないくらいにおとなしく退屈で、それからほとんど小説は読んでません。『110番街』なんていう映画がはやった頃にハーレム犯罪シリーズという連作があり、ジャズ、麻薬、犯罪などでグチャグチャになるやつですけど、それは何冊か読みました。そもそも僕は16歳ぐらいから30代半ばまで(日本語の本で)重度で重症の文学漬けになっていましたが、英語の本を読み始めてからは、どういうわけか僕の読んだ小説、文学作品は非常に少ないです。それは英語とは関係なくて、僕のなかで関心が変わり、文学離れが起きたということにすぎません。とにかく読む意欲というのは大切で、そのために自分の関心の強いものを選んでいくということはとくに重要です。その代わり、僕は案外ジャンルに制限がなく、学術的なものから発禁になるような最低のものまですべて読みます。固いものが続くと、あとはドロドロ猥褻文献などを読んで、調整(?)しましたね。そういう体質は今でも少しも変わっていません。

さて次に、もし最大限省くとしたら「読む」も省いていいかもしれないですが、順位1「聴く」は省けないということです。この場合「聴く」はレコードを聴くではないです。英語の映画、ドラマ、ニューズ、その他の番組などを「聴く」という意味です。もう一度言いますが、これはもっとも怠惰でずぼらなジャズ歌手が、省けるものはすべて省き、それでも英語が上達する方法がないか、もしあればそれを伝授してあげようと、無理な試みをしています。断っときますが、これは無理で無謀な試みです。でも大変重要ですから、しっかりと頭にたたき込んでください。「聴く」は省けません。とはいえ昔と較べて今は天国みたいにいい時代です。TV番組なんか二カ国語でやってくれますし、衛星放送やケイブルTVなどと契約しておけば、一日中英語番組を聴き見られます。まさに素晴らしい時代ですね。フランス語やドイツ語などほかの言葉はこうはいきませんから、ホントにありがたいです。やろうと思えば一日中自分を英語漬けにすることができるんです。

松本道広さんという英語の先生がいます。彼は大阪(たしか)にいて米軍放送が聴けなくて、30、40年前に上京したときに小さなラジオを買い、一日中イアフォンを差したまま電車に乗ったり歩いたりしていたと本に書いてました。東京に来て英語の放送を聴けるのが、心の底から嬉しくて夢のようだったと書いていました。ではいま関東にいるジャズ歌手がどれほど米軍放送を聴くか、あるいは英語のTV番組を見るのか? いや無駄な問いは省いて、先を急ぎましょう。「聴く」というのは受動的な行為なので、ラジオでもいいですね。ラジオには、文化放送の夜中などにとてもいい英語番組をやっていますし、ほかにも英会話番組など少なくないです。僕は自分の生徒に「そういう英語番組をすべて録音しておいて、それを通勤や車の運転中や便所や風呂の時間に聴け」とよく言いました。それならお金がかからないし、会話スクールに通う手間も省けるし、時間もかなり節約できて、いいことずくめです。でもそれを実行した生徒は一人もいません。実行すると言った生徒は少しいましたが。でもたとえこういうことをしてもその番組の内容を100%解釈し吸収するなんてことはできません。それでいいんです。半分くらいしか頭に入らなくても、30%しか入らなくても、それでもいいんです。元々こんなもの全部入るわけないです。20%でもすごい量で大収穫です。それから最近は英会話CDなどをかけて、声の高さはそのままに速度を落とすことができる機械も出ています。本当にいい時代です。勉強しないと罰が当たるほど至れり尽くせりの時代です。

最初のうちはドラマは難しいですね。ニューズが一番手っ取り早いです。なによりも内容をたいていは日本の新聞やTVニューズで知っているものが多いですから、英語のニューズは聴きとりやすく解釈しやすいです。それから大リーグの野球中継なんかいいですね。判りやすいし、あまり多くを喋りませんし、難しい言葉が少ないです。もちろんサッカー中継でもいいです。映像がついていると解釈しやすいですから、英語を聴いていても楽ですね。衛星放送やケイブルTVではいろいろな番組があり、飽きません。子供番組でも漫画でも、自然探訪のような番組でも、スポーツでも、とにかく自分の好きなジャンルを見るのがいいです。その方が関心が保てますし楽しいですし、なによりも長続きします。英語の勉強における、この「長続きさせるために関心が強いもの楽しいものを選ぶ」ということは最重要です。これは絶対に忘れてはいけません。自分の怠惰さと勉強の難しさを甘く見ないために絶対に必要なことです。自分がだらしないこと、怠惰なこと、飽きっぽいことなど、僕はそういう自分を誰よりも良く知っていて、それだからこそ自分が好きで関心が強く楽しいものを選ぶわけです。これは勉強の鉄則です。

今の人間は二言目には時間がないと言うんですが、時間がないというのは嘘です。時間がないと言いながら、ほかのやりたいことはすべてやっているわけですから、もちろん嘘です。だから最低でもなにかをしながらこういう番組を聴くのがいいですね。僕はTVニューズやその他の番組を一年中英語に設定して、家にいるときぐらいは自分を英語づけにするようにしています。それじゃ意味が全然判らなくてイライラしてしまうから、やっぱり日本語に設定してという人は、はいご苦労様、歌手をやめる方法を考えてください。僕は、偉そうなことを言っていても、英語は恐ろしく下手です。アメリカ人と話すといつもがっくりさせられますね。いまファーラウトのキッチンに入っているNathanの英語は、非常に癖のある聴きとりにくい英語です。僕が会ったことのある純然たるアメリカ人では、彼はもっとも聴きとりにくい人だと思います。僕は彼の言っていることの6、7割しか判りません。僕も下手でどもりながら、つっかかりながら話します。最近は少し彼の英語に慣れてきました。やはりアメリカ人のMinahは彼の英語を「独特のアクセントのある英語」という言い方をして、もちろんけなしたり、下手だなどとは言いません。この「アクセント」は日本人が言う「訛り」とは少し違うかもしれません。だから英語は大変です。アクセントが多種多様で、世界中のアクセントに対応しなければならないです。

つまり、英語を喋る聴く感覚というのは、どんなアクセントにも対応し、相手にどんな変なアクセントだと思われても気にせず、意味を伝える、言いたいことを相手に言う、それだけのことに恥も外聞もなく専念できる、そういう心、態度のことなんです。どもってもつっかかってもなにも問題なし。とにかく恰好なんかかなぐり捨てて、話したいことを相手に伝える、(上手い下手なんかどうでもいい)それが「英語をしゃべる聴く感覚」なんですよ。もしそれができたら、相手の英米人は、その英語がどんなに下手でも、文法が滅茶苦茶でも、「きみはなんて英語が上手いんだい!」と褒めるでしょう。下手な英語で喋るとき恥ずかしいと思うのなら、あなたはまだこの「英語をしゃべる聴く感覚」をもってないんです。

ジャズ歌手にはたくさんお目にかかりますけど、そのなかで、この「英語を喋る聴く感覚」をもっている人は10%もいないでしょう。5%以下かもしれません。90%以上がはっきり言ってダメです。この「英語をしゃべる聴く感覚」をもっている人も、べつに上手いわけではないんです。上手くはないけど「英語をしゃべる聴く感覚」をもっていると感じさせるんです。ジャズ歌手ならば、最低でもそう感じさせなければならないでしょう。ファーラウトに出演したこともあり、ときどき客として来るTonyはもちろん英語を話しますが、英米、インド、香港などとも、オーストラリア、ニュージーランド風ともまた違うアクセントで、なにか不思議な印象を僕はもっていました。よくきいたら、彼はマレーシアで育ったと言います。英国風でもなく、英国植民地風とでも言うんでしょうか、これまた独特のアクセントです。彼は歌うんですが、失礼ながら聴いていてその歌はお世辞にもうまくないです。しかしやはり英語はよく聴きとれました。素朴で言葉の意味を直接語っているような歌で、聴いているとなにか楽しくなります。歌としては面白く楽しいし、気持ちがよく伝わる、そんな雰囲気です。それが「英語をしゃべる聴く感覚」でしょうかね。もう一度言いますが、下手な英語で喋ってそれを恥ずかしいと思うなら、あなたは「英語をしゃべる聴く感覚」がないんです。なんと思われようと話したいことを相手に伝える、上手い下手なんかどうでもいい、そういう気構えになれたら、それはあなたが「英語をしゃべる聴く感覚」を身につけてきたということです。ジャズ歌手に必要なことはただそれだけです。

さて4「書く」、3「話す」、2「読む」、1「聴く」と順位をつけて、ずぼらで勉強が苦手なジャズ歌手が英語を勉強するとしたら最小限度やるべきことを話してきました。最低でも1「聴く」はやらなければなりません。最初のうちは英語でテレビが鳴っていてもなにも判らなくて、すぐに面白くなくなりますし、イライラしてきます。でもガマン、ガマン! とにかくガマンして聴いていると、あるときニューズなんかで「littleリトル」という単語が良く聴きとれ、リではなくあとの方のルのL音が鮮明に聴きとれる自分に気づき、ドキッとするほど嬉しくなる、そんなときが来るでしょう。まさにそういうときがあなたの本当の英語の旅の出発点になるんです。僕も米軍放送を聴いていて、あるとき「littleリトル」のルのL音を聴いて、初めてL音に気づいたんです。それは、学校や本で習う発音や理屈ではなく、実際の音としてL音を初めて自分で認識したという意味でです。R音でもなく日本語のラ行でもなく、本当のL音です。というわけで最後に少し専門的で難しい話しをしてみましょう。

L音はやや周波数が高いです。日本語の特徴は、その言語音の周波数が低いことにあります。もっと正確には、言語の周波数を高域、中高域、中域、中低域、低域と五段階に分けると、日本語は中域から中低域に集中し、中高域も少しはあるけれど、低域と高域はほとんどない、そういう特徴をもっています。厳密には、昭和前期以前の昔の日本人が喋る日本語は、もう少し周波数域が広く、高域、中高域も現在のわれわれが話す日本語よりは多く含んでいたでしょう。それだけ現在の日本語音は無味乾燥になり、美しさを欠き、実用的な意味伝達にのみ集中し、音としての美しさの多くを失ったと言えます。それに対して英独仏語のような西洋語は低域から高域まで満遍なく使い、その音としての表現力が多様なはばをもっていると言えます。L音は日本語にはない高い音の子音です。そしてこの「高い」という意味は、高い倍音が多く積み重なっているということを言っています。L音の日本語にはない高い子音としての音を、本に書いてある理屈や解説としてではなく、中高校などの日本人の英語の先生の発音としてではなく、本当の音として自分の耳で捕らえられたとき、それがあなたの長い長い英語の旅の出発点になるんです。そしてもしそういう自分の聴くという感性に、驚きや喜びを感じたら、あなたは「英語をしゃべる聴く感覚」の最初の一片を自分のものにしたと言えるでしょう。勉強を苦痛だと思っているあなたは、まだ勉強が足りないだけです。まだ勉強が何たるかは判っていないんです。勉強はいったい何ですか? 勉強は喜びなんです。なぜなら勉強をして得られた成果は、すべてあなたの血となり肉となるからです。もしあなたがある時、勉強をしていて勉強が喜びだと感じられたら、それこそあなたの勝利の瞬間です。

2008/10/23  村尾陸男


受験英語の時代から苦労の種。試験では特に母音の相違を問う設問多く、此れにばかり気を取られて来ました。しかし子音がカギとの鋭い指摘に思わず唸って仕舞いました。オイラの英語が通じぬ訳だ。英語は子音が2,3字連続するのがザラでしたね。これは我が国語では経験してません。「マッカーサーの犯罪」を書いた西鋭夫氏が米国留学体験を語っていて、とくに英語に関してナルホドと感じました。教授が予習すべき本を挙げ、次回学生達の討論。西さん全く付いて行けず沈黙。所がレポート提出では、米人学生よりも文法・単語の綴りが正確で素晴しい文章を書き、教授に「西、こんな立派な英語を書くのになんで喋らんのか」と言わしめたとか。どの位経ったか、忘れましたが、ある日 西さん討論に突如参加、米人学生を圧倒(このクダリには私不覚にも落涙)。一同、仰天。「西、何があったんだぁ」。彼曰く、ある日突然、頭の中で脳の何処かと何処かの配線がスーッと繫がったのだと。私の様なゼロからの jazz入門者にヒントは無いかとこのページを読んでました。有難う御座います、有りました。上手い下手を気にせず、ジャス語を歌い続ける事ですね。文法であるコードまたその他に就いての本をつい 読みますが、此れがいつの日か脳の何処かで配線が繫がり、怒涛の如くアドリブソロ。てな具合には・・・行かないもんでしょうか。夢のなかででも良いからソロ弾きたいんです。 吉村満09/10/7

英語がダメ、と村尾さんに2度ほど言われて、どのへんかなと自分なりに考えていました。多分、thの発音とか語尾の発音がいい加減なところとか、イントネーションかな、と思っていたのです。

子音の発音、それに、もっともっと深いことでしたね。ありがとうございました。話すチャンスはほとんどありませんので、もっと英語を聴くように心がけます。10/27/09岩橋百合

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