音楽/シードマイヤーとの出会い/We Threeほか

1998年3月に父が亡くなりましたが、僕はそのころ精神的にも肉体的にもかなり疲れていて、父の部屋をなにもせずにしばらくのあいだ放置していました。やっと5月ごろから父の部屋を片づけはじめ、ぎっしりと詰っていた書類や本を整理して、図書館に寄付したり処分したりして、かなり時間と手間がかかりましたが、一ヶ月くらいかかってなんとかすっきりとすることができました。そしてしばらくして畳だった床を板ばりにはり替えたその部屋に、まったくヒョンなことから入ってきたのが、ドイツの Schiedmayer シードマイヤーという名のピアノです。

ある日僕は世田谷のピアノ会社までヨーロッパのピアノを見に行き、一台500万円とか1000万円、1500万円という目が飛び出るようなピアノを次から次へと弾いて、どうせ買えないんで、腹いせに言いたい放題ケチをつけて帰ってきたんです。このタッチが気にいらんとか、この音はうすら寒いねとか。そしたら桜木町の音楽教室にドイツの古いピアノがあるから見るかと言われて、ちょうど帰り道ですから、じゃあ見ようとそこへ行ったんです。ドイツのピアノといっても、なんと1907年製だそうで、ということはどうせ骨董品でもう使いものにならないだろうけど、まあどんな格好をしているか、参考のために見てやろうと僕は思ったんです。

ところがピアノの鍵盤を開くと Schiedmayer と書いてあるじゃないですか。いやこれは当たり前ですね。その下に Pianofortefabrik とあって、さらにその下にStuttgart とあります。ドイツ語らしく単語をくっつけちゃったりして、まこれも当たり前ですね。でも実を言うとこの三段のドイツ語の名前表記に、僕は一目惚れしちゃったんですね。それから Pianoforte という古さにもね。ピアノは昔はピアノとは言わず、ピアノフォルテPianoforteと言ったんです。おまけに触ってびっくり、さっき弾いてきた500-1500 万円のどのピアノよりも全然いいじゃん、てなわけで(あ、いかん、いかん)、しかも200万円だったもんで、僕はすぐ買うはめになったんです。いや、やっぱりはめられたのかもね。

でそのピアノが父亡きあとの部屋にやってきたんです。父は1905年生れでしたから、そこに1907年生れのピアノが来て入りこんだんですね。なんの縁なんでしょう? そのピアノはなかに大きく張ってある響板(きょうばん)という板が割れていて、ふつうなら直すところでしょうけど、とても音が良く鳴っているし、全体のバランスもいいから直さないほうがいいでしょう、とピアノ屋が言うわけです。はい、はい、じゃあそうしましょうね。それに実を言うと響板を張り替えたり割れたところをくっつけたりするには、事実上ピアノを分解することになり、ものすごい額の修理代が必要になるんです。どっちみちそんなお金はありません。

それは180センチ余の長さのグランド・ピアノでとくに大きいくはないんですけど、ずしりとしていて柔らかい低音が響きました。難点は鳴りすぎることと鍵盤が軽いことでした。それで僕はそのピアノに、調律屋のヤスくんが反対するのもかまわず、鉛をしこんだんです。ヤマハで出している鍵盤のハンマーにはめこむコの字形の金具を90個のセットでヤスくんに買ってきてもらって、ヤスくんと一緒に一つ一つなかに鉛を入れてはめこんだんです。鉛は釣り道具屋で板おもりを買ってきて、その板おもりを5グラムくらいの大きさに切って、その金具にはさんで入れたわけです。

そして少しずつシードマイヤー君はよくなってきました。シードマイヤー君は初めて経験する日本の夏が弱かったみたいで、夏の湿度の多いときなど、ビジョビジョンなんて変な音出して涙をこぼしたりしてたんです。きくところによると、彼を産んだシードマイヤーというピアノ会社はもうつぶれてとっくにないんだそうです。可哀想にね。実家は没落してもうないんだね。でも僕がワグナーの麻薬みたいな転調コードなどまったく弾けないし、ブルックナーやマーラーはおろかベートーヴェンさえろくに判らないから、諦めたんじゃないかしら。ロシア革命を横目で見ながら二つの大戦を経験し、ドイツの分裂と再融合を味わってきたシードマイヤー君は、ワイマールもバイエルンもルドヴィッヒ二世も、ソヴィエト・ロシアがふんだくってポーランドと山分けしたプロイセンのことも、昔の思い出はなにもかも忘れかけてきたようで、まあこのところ少しずつアジやイサキを焼く煙にも慣れてきたみたいだし、アート・テイタムの下手なまねごとの、僕の愛撫にも頬をすりよせててきてくれるようになりました。シードマイヤー君は今年95歳を迎えます。100歳のお祝いには特上のたい焼きでも食べさせてあげようかと、いまから考えてます。(これは2002年に書きました)村尾陸男

1-----We Three/フィニアス・ニューボーンJR
最近昔買えなかったこのレコードのCD版を買いました。それでアマゾンのサイトをブラウズしていたときですが、その投稿に次のような評が載っていました。

「ロイ・ヘインズの代表的名盤, 2004/2/7レビュアー: Frederick (東京都 Japan) --ロイ・ヘインズの代表的名盤---中略---ヘインズはでしゃばらないサポートで、敢えて他のメンバーを鼓舞するようなことはしていない。ソロもむやみに叩きまくることはなく、歌うようなドラミングだ。しかしヘインズならではの多彩なテクニックは充分味わうことができる。フィニアスはときにテクニックばかりで空疎な演奏をすることのある人だが、ここでは味わい深い演奏を展開。ブルースが特によい。チェンバースはテクニックを前面に出さず渋い演奏に終始。含蓄のある言葉を聴かされているような、深みのあるソロだ。ほどよい緊張感がこころよい。」

この評を最初に読んだとき、なにかピントがずれていると感じて僕は驚きました。これは95%ぐらいフィニアス・ニューボーンJrのレコードと僕は認識していましたから、「ロイ・ヘインズの代表的名盤」という発言にビックリ。これがニューボーンJrのレコードだということは、当時から疑ったことはないですし、今でもこれからもそれは変わりませんね。でもCDを買ってよくよくライナーノウツを読んでみると、ロイ・ヘインズがメンバー名の最初に来ていて、それからニューボーンJr、チェンバーズと書かれています。ということは当時ヘインズがいわば親玉で、彼が一緒に演奏し始めたばかりの若い新人のニューボーンJrを誘ってレコードを作ったようです。

ですからその意味ではこれはヘインズのレコードかもしれません。しかしヘインズ・トリオともなっていなくて、タイトルはWe Three(僕たち三人)です。それはヘインズがニューボーンJrのけたはずれた才能をよく理解していたから、「ヘインズ・トリオ」などとのぼせることなく、謙虚につけたアルバム・タイトルだったと思います。これは95%か、もしかしたら98%くらい、ニューボーンJrのレコードですし、ニューボーンJr の音楽ですね。彼がほかのピアニストに変わったら、こんなレコードはできていなかったでしょう。反対にフィリー・ジョウ・ジョーンズとオスカー・ペティフォードにメンバーが変わっていたとしても、これと内容がさして変わらないレコードができていたでしょう。レイ・ブラウンとエルヴィン・ジョーンズでもいいです。いずれも甲乙つけがたい素晴らしいミュージシャンですから、そうなるでしょう。実際にニューボーンJrはこれらのベース、ドラムともレコードを作っていますが、彼の音楽という意味は少しも変わりません。ということはこのWe Threeにおいて、そのぐらいにニューボーンJrの存在が大きかったわけです。

これをヘインズの代表作ととるのは、とにかく名盤中の名盤ですから、間違っていないでしょう。それから評者が言うように「フィニアスはときにテクニックばかりで空疎な演奏をする」のも正しい解釈だと思います。しかしそれでも、このレコードがニューボーンJr驚くべき才能によってしか作り得なかったという事実を、ねじ曲げたり無視したりするのは馬鹿げていて滑稽です。まあピントはずれという言葉がもっとも適当でしょう。

だいたいピアノ・トリオの演奏でピアノがどれほど大きい位置を占めているかは、普通の常識的感覚からすれば一目瞭然です。もちろん、ベースやドラムの存在意義を否定したり無視したりはできませんが、音楽的な意味からは、ピアノが主役でベース、ドラムがそれを支えるという構成は歴然としています。ベース、ドラムで自分が主役になりたい、自分の主張を全面的に表現したいと思うのなら、そういう設定でやるだけです。ロイ・ヘインズが脇役に徹しているような敲き方をしているのは、彼がニューボーンJrのここでの大きさ、意味を充分に判っていたからで、そこで自分が出しゃばり出てすべてをぶち壊すほど彼は馬鹿ではなかったということです。

この評は僕にはホントに意外で、いわば不快なものに響きました。こんな受けとり方もあり得るんだと、かなり驚かされました。98%ニューボーン Jrのレコードだと思っていたものが、これはヘインズのレコードでニューボーンJrはいなくてもいいみたいな、まるでそんなことをこの人は言っているのですから。でも世の中はそういうものなんでしょう。そういう意味ではかなり苦い勉強をさせられたと言えますね。2007年5月 村尾陸男


2-----バド・パウエルとビル・エヴァンズ
このあいだ珍しくお客さんと音楽談義をやりました。プロのミュージシャンとしては、お客さんとはあんがい音楽談義はしにくいもんですね。音楽雑誌の記事とかで自分の意見をぶったり、どこかの教室で講義したりとかは簡単にできますけど、人と議論するのは骨が折れますし、それがお客さんとなるとさらに言いにくいです。でも先日ジャズでは誰が好きかと訊かれたもんですから、答えないのもおかしいので、バド・パウエルと答えたんです。するとなぜと訊かれたので、説明し始めました。当然ですが、これが話せば長いことになります。

僕は17歳くらいから30代初めまで、当時の日本人のありふれたパターンでビル・エヴァンズ一遍道でした。それが30半ばからパウエルを聞き始め、だんだんのめり込んでいって、気がついたらエヴァンズは聴かなくなっていました。もっと厳しい言い方をすると、まったく聴けなくなっていました。エヴァンズは病的なんですね。病的と言えば、パウエルも充分病的です。どちらも100%病んでいるんですが、パウエルは社会的には病んでいなくて個人的に病んでいるのに対して、エヴァンズは社会的にも個人的にも病んでいるように思えます。パウエルはどこまでも強く健康的ですが、身体的には病んでいたと思います。エヴァンズは弱く非健康的で、後年は身体的にも病んでいきます。

しかしここには第二次世界大戦後のアメリカにおける、人種的、社会的な問題が関係していると思います。黒人には社会と戦う理由があったわけです。戦争中はいわば挙国一致体制であり、白人も黒人も一緒に戦ったので、社会的な問題を一時棚上げにすることができました。それがスウィング時代だったと言っても間違いではないでしょう。しかし終戦と同時に人種差別の厳しい現実が重く垂れてきます。黒人はまた元の悲惨な生活に戻らなければなりません。そこでスウィングはすぐに過去のものとなり、バップとそれに連なる<モダン・ジャズ>の時代が来ます。黒人はそこに悲哀、暗さ、苦悩、怒り、否定を表現しようとします。それは社会との戦いを意味していました。白人もジャズに入ってきた人たちは、同じように苦悩や怒りや否定的なものを表現しようとしました。しかし彼らの場合はどうもそこには必然性がありません。

バップや<モダン・ジャズ>には、過去の時代への否定か、否定とまでいかなくても見直しのようなものが大きな契機として含まれていました。マイルズ・デイヴィスの音楽や当時のモダン・ジャズがフランス映画に引っ張りだこになったのも、そういう理由です。既存の社会への否定は黒人にとって大きな権利であり義務でもあり、いわば必然だったわけです。しかし白人のジャズ・ミュージシャンには既存の社会への否定はどこかで自己矛盾を引き起こします。既存の社会とは、彼ら白人の社会であり、彼らの出自でもあるからです。ですから60年代に入ると、白人のジャズ・ミュージシャンは大きく分けて二つに分かれていきます。一つはスウィングの延長で、悩みなど一切なし、底抜けに明るくてアメリカ社会礼賛派です。アメリカ社会礼賛というと聞こえはいいですが、目的は金儲けだけという人も多かったわけです。もう一つはそれができない社会否定派です。問題なのはこの社会否定派です。

白人で、自分たちの既存の社会を否定すると、それは最終的には、家族や親戚や、村落共同体や、自分たちの所属やそれらが作る秩序の一切に対して、否定的な態度を取らななければならなくなります。それは彼らのなかで大きな矛盾とならざるを得ません。しかしそれでも否定的な態度を取る人はたくさんいました。代表的な人たちはスタン・ゲッツ、アート・ペッパー、ビル・エヴァンズでしょう。彼らは最終的には怒りのやり場がなくなり、三人ともひどい麻薬中毒になります。とくにひどい社会的矛盾に挟まれて身動きがとれなくなるのは、後者二人です。ペッパーはほかにも悪いことをたくさんしでかし、刑務所と娑婆の往復生活になります。彼の《Straight Life》という自伝は、こういう白人ジャズ・ミュージシャンの不可解で病的な立場をよく表現していて、最高に面白いです。面白いと言ってはわるいような気もしますが、とにかくここまで真面目に誠実に徹底的にいかれた反社会的な人生を送る人はそうはいません。マイルズ・デイヴィスの自伝も面白く読めますが、べつに驚きません。しかし《Straight Life》は驚きとショックの連続で、ジャズ・ミュージシャンの自伝としてもたんに一人の人間の自伝としても、ちょっと並ぶものがないような気がします。

ビル・エヴァンズの音楽には、彼の弱さと不健康さと、アイデンティティ喪失による不安感が横溢しています。初期のものは純粋に音楽的な探求に没頭できているので、聴く方もそういう視点で聴けば楽しく勉強になります。しかし中後期は、彼のなかで、音楽が必然性を欠いていき、疑問や否定や戦いの対象が不分明になっていきます。それは彼のレコードのあらゆるところに出ていますから、聞き間違えるようなことはありません。バド・パウエルとビル・エヴァンズでは十年ほどの世代の違いがありますから、まったく同列に論じることはできません。パウエルも50年代末から60年代は完全に病んで、ほとんど音楽になりません。生きた屍(しかばね)そのものです。しかし彼らが音楽界に切り込んでくる時代の、彼らの精神と社会的な態度、姿勢には似たものがあり、また比較することもできると思います。

さてバド・パウエルに没頭していった僕は、40ぐらいのときにパウエルの [クレオパトラ] などをレコードからコピーしました。[クレオパトラ] で彼は3カ所ぐらい大きなミスをしています。隣の鍵盤を一緒に弾いてしまったりとか、明らかな間違いです。でもそれはコピーしてみて初めて判ることで、レコードを聴いているとまったく気づきません。なにしろ素晴らしい演奏で、彼は興奮しまくっていますし、聴くものだれもが圧倒されてしまいます。同じレコードのほかの曲では、AABA-32小節のところ、あるコーラスだけ40小節やっています。コピーしてみて判ったんです。どうしてもそこだけ40小節あるんです。それでそこを何度も何度も聴いてみてやっと判ったのは、Bへ行くべきところをパウエルがもう一回Aをやっているので、ベースのポール・チェインバーズが2、3小節いったところでウッと詰まって止まり、2、3拍休んで気を取り直してAをやりそれから合わしてBへ進んでいる事実です。チェインバーズが詰まって止まっていなかったら、僕にも判らなかったかもしれません。つまりパウエルはそこだけAを3回やりBAといき、そのコーラスだけ40小節やるという素人みたいなポカをやったわけです。

でもそのレコードは彼の演奏のなかでも最大の名盤と言われていて、僕もそれに異存ありません。まさにその通りです。僕も何度も何度も聴きました。今でも聴いていて退屈しません。しかし本当のところ彼の演奏はいたるところ間違いだらけです。そこで僕は考えこんでしまいました。どうしてこれほどまでに雑で乱暴で間違いだらけの彼の演奏が素晴らしいのか? そしてエヴァンズの演奏が、どう見てもひどいとは言えないし、あの繊細で美しく完璧とも言える非の打ち所もない演奏が、どうして僕には聴けなくなってしまったのか? いったいどうやってこれを説明すればいいのか? その頃毎日毎日このことを考えました。それで到達した答えは、それを説明しうるものは唯一「精神」しかないということです。

音楽は精神であり、また精神的態度である、ということです。そこには明るくたくましく強く戦っている精神があるように思います。それはある意味では、1950、60年代のジャズと現在のジャズとの違いをも説明してもいるでしょう。50、60年代のジャズはいまどれを聴いてもなにか惹きつけられる強い魅力を持っていますが、現代のジャズ・ミュージシャンがすごい技術で卓越した演奏を聴かせても、そこには当時のような飢えたどん欲でしたたかな精神がかけているからか、どうも惹きつけられる魅力が感じられません。今という時代が、飽食の時代だからなんでしょうか? 飢えもなければどん欲さもなく、技術の誇示以外に演奏がなんら必然性をもたず、精神も精神的態度もとくに必要ないからかもしれません。話し始めると全部明確に説明し終わるまでは、僕はやめられません。この程度でもとてもすべて説明しきったとは言えませんし、舌足らずで不十分な解釈と言われても仕方がないでしょう。でもこういうことを考えることは重要ですね。みなさんもいい演奏を聴いてこういう点について考えてみてください。2009年2月 村尾陸男


私の音学歴は義務教育まで。トニイホロヘハヘロホイニトハと高校受験(S.33年)の丸暗記事項が未だ脳に居直る、石頭。デス。スポーツ等何でも自分がやるのが好きで、還暦過ぎて、初めて音楽やりたいとカルチャースクール・ukl教室入門、その先生の勧めで同じ4弦・コントラバスへ転向。音楽基礎皆無、何も近道無いと知りつつ焦ってます。さて、Pfですね。今年ある新聞に日本のピアノの記事有りました。松本ピアノと山葉についてです。松本さんは君津の出とあり、カミさんの郷里なので、その事を尋ねました。田舎の親戚にその製作1号機があり、従姉が弾いてると申します。名機らしとか。いつかは触って見たいと思ってます。私のbassは泣く子も黙る~「ベニア・ド・張臼」で御座います。風邪っ引きのジイ様の咳みたいにしまらない音しか出ないのです。まぁ楽しめれば良いか、と半分悟っています。それにでも、格好良くソロ弾く夢を見る事あります。そのうち、いつかは・・・・・吉村満09/10/7