国語
------「Desktop Metaphor 机上の陰喩」
2002年の秋でしたがパソコン雑誌を読んでいたら、desktop metaphorという言葉が出てきました。パソコンの画面がちょうど机の上で作業をするように考えられていて、ファイルやノートパッドがあり、ちゃんとゴミ箱の絵(アイコン)まであって、ソフトによってはペンや消しゴムといったツール(道具)までついています。画面を机の上に見立てる、机の上にたとえる、というわけです。metaphorという英単語をよく知らなくても、こう説明すれば、たいていの人がこの単語の「たとえ」という意味はほぼ理解できるでしょう。ところがここでは「机上のたとえ」とは訳されていなかったんです。
それを書いていたのはその雑誌の編集長でしたが、アメリカのあるコンピューターに関する催しで今回テーマとなった言葉は「desktop metaphor」だったと書いていました。そして彼は「metaphorという言葉の意味は陰喩(いんゆ)だ」と始めます。つまり「机上の隠喩」であると述べ、「陰喩」の意味を説明しはじめます。metaphorは修辞学の言葉であり、日本語では隠喩または暗喩となり、隠喩はたとえば「彼女はバラだShe is a rose」とか「石の心heart of a stone」といった言い方における、譬喩(ひゆ)を表す言葉「のようなlike」を省略した直接的な表現の仕方であると。それに対して、直喩または明喩(めいゆ)は「彼女はバラのようだShe is like a rose」とか「石のような心heart like a stone」といった言い方における、譬喩を表す言葉「のようなlike」を使った表現で、日常的にわれわれが使う普通の譬喩であると。
しかしこれはおかしいと僕は思いました。パソコンの画面は机上にたとえてふつう「机上のような画面」とか「机上のようにたとえた画面」とは言っても、「机上の画面」と譬喩を表す言葉を省略しなければうまく表現できないわけではありません。「机上の画面」という言い方はむしろ机上にある画面、机上に乗っかっている画面という意味を想定させて不適当でもあるでしょう。つまりdesktop metaphorの訳語として、「机上の隠喩」などという言葉はじつはないのです。正しい訳語は最初に説明したように、ただの「机上のたとえ」になります。つまり彼は自分の言っている意味がよく判っていなかったのでしょう。
「たとえ」は漢字で書けば例え、喩え、譬え、どれでもいいですが、ここからも判るように譬喩とは「たとえ」という意味ですから、これは「机上の譬喩」、「机上への譬喩」と言ってもいいでしょう。ですがいまの時代は多くの人にとって、譬喩という言葉は、意味はもちろん読み方すら判らなくなってきているわけですから、僕は「机上のたとえ」という訳が一番正しく妥当なものと思います。ではなぜ編集長はこれを「机上の隠喩」と訳したのでしょうか? じつはここからが僕のこの小文の本題です。
察するに、彼はmetaphorという単語を知らないか知っていても自信がないかそんなところから、英和辞書を引いたんですね。辞書にはまず最初に「陰喩」と書かれています。そして詳しい辞典なら「陰喩」の意味も細かく解説しています。そこで彼はこの意味は「机上の隠喩」であるとやり、そうやった以上は「隠喩」の説明から入らざるを得なかったわけです。「譬喩」という言葉は漢語でもあり昔からある言葉ですから、年寄りか教養のある人なら知っているでしょうが、「陰喩」というのは訳語として近現代にできあがってきた言葉ですから、知っている人は「譬喩」より少ないかもしれません。修辞学や文法の研究者か、英語などの西洋語の研究者なら知っているでしょうし、もちろん大学で外国語をしっかりと勉強すれば、一般人でも知っているでしょう。ただこれは特殊用語ですから、metaphorを「たとえ」と知っている人でも、「陰喩」の正確な意味は知らないという人がかなりいると思います。まあそういう細かいことはともかく、わが編集長は辞書を引き、metaphorの意味としての「陰喩」の説明を読んだわけです。「鉄の女」とか「氷の刃」とか。そこで desktop metaphorの説明に、「陰喩」の説明から入ったわけです。彼は「机上の隠喩」という韜晦趣味(とうかいしゅみ=難しいよく判らない言葉を使って悦に入る)に魅せられてそう訳したわけですが、じつは「机上の隠喩」では意味をなさないことに気がつかなかったわけです。「机上の隠喩」ではなく、「机上にたとえること」、「机上のたとえ」、「机上の譬喩」と説明しなければならないことが判らなかったわけです。
ここで僕は、これは看過できないと思い、編集長宛に次のようなメイルを打ちました。
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・・(中略)・・私は、desktop metaphorを「机上の隠喩」と訳すことはできないと思います。まず第一にこれでは意味が通りません。だれでも日本人なら「机上のような画面」と言うでしょうが、「机上の画面」とは言いませんから、「机上の」という隠喩をここに当てはめることには無理があります。当然ながら普通にはmetaphorは「譬喩」と訳すべきです。譬喩はヒユと読みますね(比喩は現代の一種の当て字です)。「机上の譬喩」なら、まあ許せるかもしれません。しかしそれもいい訳とは言えないでしょう。
そもそも metaphorは英語では「譬喩」であって、ほとんど「隠喩」という意味では使われません。「隠喩」という意味は、figure や simile といった文法・修辞学用語とともに、文法学者や修辞学研究家には使われますが、そういう用法、意味は90%以上のアメリカ人が知らないでしょう。だからそもそも英和辞書が metaphorの項目の最初に「隠喩、暗喩」を呈示していることが間違いだと私は思います。そしてもちろん、隠喩、暗喩、直喩、明喩といった言葉も、訳語として造られた日本語にすぎません。
一方「譬喩」という言葉は正当な日本語ですが、これもほとんどの日本人が知らないか読めない言葉になってしまいました。たぶん大学出のインテリでないと知らない言葉に入るのではないでしょうか? 譬喩の「譬」という字も「喩」という字も「たとえる」と訓読みし、まさに「たとえる」という意味です。この熟語が読めて、その意味が「たとえる」と知っている日本人が今何%いるのでしょうか? 私には判りません。まあどう甘く見ても50%以上ではないでしょう。
はっきりしているのは、metaphorという語とその「たとえ、たとえること」という意味を知っているアメリカ人は確実に90%以上いるでしょうが、「譬喩」という言葉と「たとえる」という意味を知っている日本人はたぶん50%もいないということです。ということは、desktop metaphorを平均的アメリカ人が理解しているような意味で、平均的日本人が理解できるように訳すとすれば、「机上のたとえ」とするしかないということになります。もちろんそれしかありません。もっと正確には、(コンピューター画面をデスクトップに)つまり「机上にたとえること」です。それが「机上の譬喩」でも、まあやや堅苦しいのと韜晦趣味に感じますが、まちがいではないでしょう。
しかし「机上の隠喩」はまずいですね。アメリカ人がだれもそんな意味で使ってないのですから、見当違いなだけでなく、陳腐で滑稽です。そればかりでなく、辞書から借りてきた、付け焼き刃的博識だということがすぐに判ります。辞書には高尚なことが書かれていますが、それは往々にしてアメリカ人が現実の生活で使っている言葉とは無関係です。われわれ日本人にはつらい事実ですが、現実はそんなふうです。
つまり辞書に頼らないで、前後や文脈を読めば、このdesktop metaphorのmetaphorの意味は、「たとえ」だと簡単に出てくるものなのではないでしょうか? くれぐれも辞書を過信しないことです。
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このメイルはちょっときつかったかもしれません。<「机上の隠喩」はまずいですね。アメリカ人がだれもそんな意味で使ってないのですから、見当違いなだけでなく、陳腐で滑稽です。そればかりでなく、辞書から借りてきた、付け焼き刃的博識だということがすぐに判ります>と僕は書きました。一つには、雑誌の編集長ほどの人だからこのくらい厳しい批判は耐えて当たりまえと、僕は思っていたわけです。しかし編集長から返事は来ませんでした。メイルを受け取ったという雑誌社からのメイルさえも来ませんでした。それで一週間か十日ほどして、僕は気になった点を調べて、もう一度、よせばいいのに以下のメイルを送ったんです。
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先日「隠喩」という言葉に関してメイルをお送りした村尾です。××さんが読まれたかどうか判りませんが、その内容について、補足したいと思い、再度メイルしました。
metaphor という単語の意味は、日本の英和、英英辞典の多くは、「隠喩」という意味を最初にかざしていますし、少し落ちる辞典になると「隠喩」という意味しかあげていなくて、普通の人が使う「たとえ」という意味は、なんと、呈示していません。これは恐ろしいですね。
metaphor という単語の意味の確認には、英米で出されている辞典を引くのが一番だと思います。私が調べた限りでは、家庭用のOxford、Chambersでは、「たとえ」という意味だけで、反対に「隠喩」という意味は省略して呈示していません。やや大きな Webster の辞典は「たとえ」という意味を最初にもってきて、「隠喩」という意味は CF=参照として、figureやsimileの項目を見よ、と書いていますが、これも意味の項目からはほぼ省いています。まあ、だいたいこんなふうだと思います。
私も日本の英和辞典がこんなにいかれているとは思っていませんでした。高尚で学術的な意味を高々とかかげ、現実に英米人が使っている英語の意味には興味がないのかもしれません。まあ、余計なことかもしれませんが、このことを再度あなたにメイルさせてもらいました。
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そしてまたしても編集長からはなにも返事が来ませんでした。まあ、そんなものなんでしょう。返事など期待するほうが馬鹿なのかもしれません。それはどうでもいいです。ところでdesktop metaphorの metaphorという言葉は「たとえ」でなにも問題がないものの、日本語のほうの「陰喩」という言葉は、まだまだ厄介な問題を引きずっています。あるインターネット・サイトに次のような文が掲載されていました。
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・・・こうした「勝手に進行する物語」という構造上の特色の他に、もう一つこのアニメには大きな特色があります。それは執拗に繰り返される、第二次世界大戦の陰喩です。例えばレイの苗字・綾波は当時撃沈された駆逐艦の名前ですし、アスカの苗字・惣流も、おそらくは当時の空母・蒼龍から取られたもの。また主人公達が乗り込む「エントリープラグ」と呼ばれる円柱状の操縦席は、あからさまにあの人間魚雷・回天を思わせますし、第三東京市が置かれている長野の山中は、戦争末期に本土決戦の拠点として「松本大本営」と呼ばれる要塞が建造されるはずだった場所です。そもそも作中さかんに連呼される「セカンドインパクト」そのものが第二次世界大戦の陰喩に他ならない・・・
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ここで使われている「陰喩」は、正確には、修辞学でいう「陰喩」とは少し違います。アニメの人物や名前や物語りが〈第二次世界大戦の設定や状況を暗に仄めかしている、暗示している〉と筆者は言っているわけです。僕はそれを間違った使い方とは思いません。文学や評論では〈直接そうと述べてなく暗にそうと示されているような譬喩〉として「陰喩」という言葉が使われてきています。またときには〈思ってもいないのに、暗示されているわけでもないのに、偶然の一致のように浮かび上がってくる譬喩〉の意味にも使われます。「鉄の女」とか「氷の刃」とか言う場合に、暗示しようという意図はそこにありません。〈鉄の〉という形容を隠しているわけではなく、むしろ露骨に語っているわけですから、暗に示そうとする暗示性はありません。するとこの「陰喩」の最近の使われ方は、また新しい意味と考えていいかもしれません。結局、「陰喩」や「暗喩」という言葉は、いつのまにか文法学や修辞学の意味から離れて、たぶんその「陰」や「暗」という字の色合い、意味合いからきたのでしょうが、〈暗に示されている譬喩〉という意味で使われているわけです。これはたぶんだれかが最初は誤用し、それが慣用化されたのではないかと、僕はなんとなく思います。
そこで日本語辞書を引いてみましょう。たとえば小学館の言泉第一版を引いてみますと、「陰喩」の項目には「・・・のごとく、・・・のようだ、などの語句を用いない修辞法」とだけあり、「文勢を強める効果を持つ。リンゴの頬、人生は旅だ、などの類。暗喩。→直喩」と追加説明があるものの、このいま検討した〈暗に示されている譬喩〉という意味は示されていません。これは広辞苑第四版でもあまり変わりません。「陰喩」の項目には「隠喩法の略。また、隠喩法による表現。暗喩」とあり、「隠喩法」の項目では「(metaphor) 修辞法の一。たとえを用いながら、表現面にはその形式(如し、ようだ、等)を出さない方法。白髪を生じたことを〈頭に霜を置く〉という類。暗喩法」となっています。〈暗に示されている譬喩〉という意味はどちらでも指摘されていません。
ここで整理してみましょう。metaphorの意味には1-たとえ、2-陰喩、と二つあり、英米の辞典は1だけを載せていて、ものによっては2にわずかに触れている、という程度です。日本の英和辞典は(僕が目を通したかぎりでは)すべてその反対で、metaphorの意味には2を載せていて、よほどいい辞典がわずかに1に触れているという状況でした。たとえばジーニアス、ニューワールド、ニューアプローチなどの辞典はすべて2だけしか触れず、リーダーズ英和辞典は2、1の順で呈示しています。次に日本語の「陰喩」の意味には1-たとえ、2-修辞法としての陰喩、3-暗に示されている譬喩、の三つが考えられますが、ほとんどの国語辞典は2しか与えていなくて、1と3については触れていません。もしかしたら1はないのかもしれません。つまり、2と3しかなく、そのうち辞典、辞書には2しか載せず、3は無視されているということです。1の意味が存在しないという説は、インターネット検索で「陰喩」と入れて引っぱると、多量の文例がもたらされますが、そのなかに1の意味はほとんどないことからも確かめられます。それらの例文には2と3だけしかなく、それも 2はそう多くなく、大部分は3の例だということです(もちろんどれとも判断ができかねるような曖昧な使用例もありますが)。すると「陰喩」という言葉に関して、日本の辞典は〈2-修辞法としての陰喩〉の意味しか呈示していなくて、一般の人たちはたいていは〈3-暗に示されている譬喩〉と言う意味で使っているという、不可思議なすれ違い現象が起きていることになります。
さてここまで見てきたことすべてを考えあわせれば、編集長が辞書を引っぱって、八方ふさがりの落とし穴にはまるというのは、まあやむを得ないことかもしれません。結論として言えることは、日本の英和、国語辞書は、総じて、現実に無関心だということです。英米の辞書は(優れているとかではなく)非常に無駄なく現実的に処理されていると思いますが、どうも日本の辞書は、高尚な意味、学術的な意味が好きなようで、しごく非現実的で実用性を欠いた体質をもっていると思います。これは日本人としてはかなりのショックだと思いますね。またどれもみな同じ体質をもっているというのも、まったくやりきれないことで、僕は不思議なことだと思います。きっと他の辞書を見較べながら作っているからこうなるんじゃないでしょうか? それとも僕の意見はあまりに偏見に満ちているということになるんでしょうか? 皆さんもぜひ考えてください。 11/13/2003初稿
------「メタファーを大事にする」
2008年夏のある日テレビで気鋭の映画監督がインタヴューに応えて開口一番言ってました。「メタファーを大事にする」と、いかめしい顔で鬼の首でも取ったような表情でこう言うわけです。それで画面に大きく「Metaphor=暗喩、隠喩」と出ました。これはたぶん「隠れた比喩、秘められた比喩」という意味で使っているんでしょうが、暗喩、隠喩という言葉に本来そういう意味はありません。また英語のMetaphorはたんに「たとえ」であって、暗喩、隠喩という意味はありますが、それは文法用語でやはり「隠れた比喩、秘められた比喩」という意味はありません。
するとこれはメタファーという元の英語にない意味の新しいカタカナ英語をまた一つ作ったということになります。日本人の大大大好きなインチキカタカナ英語です。万歳とでも言っておきましょうか! それからその意味としてあげる暗喩、隠喩という言葉の意味も間違って解釈しています。そしてこういう慣用がまかり通っているにもかかわらず、国語辞書はそれに触れていなくて、暗喩、隠喩という言葉の意味には文法用語としての意味しか提示していません。
まあ誰がどんなでたらめな言葉を使ってもどうでもいいんですが、ここで問題となるのは、インチキカタカナ英語の創作によってわれわれ日本人が被る被害です。1英語教育の破綻と2日本語の崩壊です。どんなインチキカタカナ英語を日本人が創作しても、英語国民の英語そのものは壊れませんし、彼らにあまり大きな被害はありません。ですが日本人の英語教育はますます空回りし、今までにも増して効果の薄いがらくたと化していきます。でもこれは元々大学を出て10年英語をやっても喋れない聴きとれない、そんな英語教育を十年一日のごとくやってきたんですから、被害は少ないという見方もできます。
ほんとに大きな問題は、2日本語の崩壊です。日本語にはインチキカタカナ英語が氾濫し、こうして話している人間(映画監督)も注釈する人間(テレビ局)も聴いている人間(一般視聴者)も三者揃って日本語が判らなくなってきているわけです。そしてもう一つどでかい問題は、しかも国語学者がこういう事態にまったく無関心だということです。文学者も似たようなもんでしょう。もう恐ろしいという以外に、僕は言いようがありません。本当に恐ろしいです。日本語はもうかなりだめですが、さらに徹底的にだめになっていくでしょう。それは、言いたくないですが、日本人がだめになっていくことを意味していると、僕は結論として言わなければならないですね。
8/9/2008再校
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- by ジャズクラブFAROUT-ファーラウト-
- at 11:27
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